ゴルフは続くよどこまでも #16「母のゴルフ史」
ある土曜日の夜、家族のLINEにメッセージが入った。
「母は昨日 37℃の茨城県で
42・38 の80 40年ぶりのベストスコアタイです。」(原文ママ)
「40年ぶりのベストスコア」ということは、母が24歳のとき以来ということである。
彼女は28歳で結婚、29歳で初産、30歳のときに次女の私が生まれているので、仕事と子育てでゴルフに集中できなかったこれまでの年月に思いを馳せると、感謝と敬服の念を抱かざるを得ない。
ゴルフをする女性が男性に比べて少ないのは、出産・育児という大役があるからというのも大きな要因のひとつだ。
職場のレクリエーションや接待ツールとしてゴルフを始めるケースも、男性のほうが機会が多い。
しかし、ゴルフが大好きだった母は諦めなかった。
数年のブランクは避けられなかったが、娘たちが小学校に上がり、仕事との調整を整えると、ゴルフを再開。
さらに、子供を置いてゴルフに行くと祖父母に怒られるからという理由で、娘たちをコースに連れ出した。
自分がゴルフをしたいからという動機を隠し、娘たちが夏休みの時にはジュニアゴルフキャンプに放り込んだ。
それにしても、1990年代はまだバブルの余韻がただよっていた頃。
小学生2人を連れて自分もゴルフをするとなると、相当な金額をゴルフに費やしたはずである。
まして初心者の子供にルールを教えマナーを教え、アドバイスをしてスコアを数えて・・・なんて、お金以上に時間と労力をかなり消費したはずだ。
母が私たちのためにキャディのように走り回っていた姿をいまだに覚えている。
もし日本ゴルフ界に「消費」分野で貢献した人々をたたえる賞があるとしたら、彼女は金賞に値すると思う。
おかげで娘のひとりも立派なゴルフバカに成長し、大成はしていないものの、こうしてゴルフをライフワークにしているのだから。
母は仕事やプライベートでの苦労をひと山もふた山も乗り越え、60歳になってゴルフのレッスンに通うようになった。コロナ禍でも週に2、3回は通っていたそうである。
ベストスコア祝福の電話をすると「それがね、実はわたしすごい上手いのよ」と第一声から喜びを隠さない。
今回のベストスコア80は、長年の貢献のご褒美だともいえるし、彼女の執念と努力の賜物であるともいえる。
70台の吉報が入るのも近そうだ。
ヒッティ
1987年生まれ。ニュージーランド在住。幼少期からゴルフを始め、一時はプロを目指すも、今なおアマチュアとしてゴルフを愛し続けている。現在のハンデはゼロ以下。日本とニュージーランドで女子ミッドアマ チャンピオンのタイトルを獲るなど、珍道中を邁進中。