ゴルフは続くよどこまでも #28「NZ女子アマチュア選手権」
11月2週目、オークランドでは汗ばむ夏らしい陽気が増えてきた頃。
私はニュージーランド女子アマチュア選手権(NZ Women’s Amateur Championship)に出場してきた。
2022年は南島のダニーデン(Dunedin)にある、オタゴゴルフクラブ(Otago Golf Club)というゴルフ場で行われた。
このオタゴゴルフクラブ、NZで一番最初に作られたゴルフ場で、2021年が150周年だった。
さらにNZで初というだけではなく、南半球でも初。イギリス国外で作られたゴルフ場としては4番目に古いそうだ。
ダニーデンという街は、スコットランドからの移民が開拓した歴史がある。
スコットランドといえば、ゴルフ発祥の地セントアンドリュース(St. Andrews)を抱える国である。
「南のエディンバラ」と呼ばれ、教会や駅など、ビクトリア朝様式やエドワード朝様式の建造物を今も見ることができる。
1839年にエディンバラに生まれ、23歳でダニーデンに渡ってきたチャールズ・リッチー・ホーデン氏は、新天地を目の前にこう思ったに違いない…
「あぁゴルフがしたい! ここにゴルフ場を作りたい!」と。
彼がダニーデンの地に着いてから9年後の1871年、ダニーデンゴルフクラブ(現オタゴゴルフクラブ)には12人の猛者たちが集い、ホーデン氏は初代キャプテンに選ばれる。
1881年にホーデン氏がイギリスに渡り、ゴルフクラブは一時休業するものの、彼がダニーデンに戻った1889年から再開。
再びゴルフの情熱が溢れ出した彼は、クライストチャーチ、ウェリントンなどNZの他の都市でもゴルフ場開業に尽力し、広く影響を与えた。
現代のゴルファーで彼の名を知る人は少ないが、彼は「NZゴルフの父」としてゴルフ史にその名を刻まれている。
オタゴゴルフクラブの壁に掛かっていた歴史紹介を読んで ふ〜ん と感心した。
ホーデン氏が一度イギリスに戻ったのは、仕事の都合とか家族の都合とか書いてあったが、きっと帰った時にゴルフクラブやボールなどたくさんの用具を買い込んできたに違いない。
本場でゴルフの普及の仕方についても情報収集をしてきただろう。
情熱の炎を宿したホーデン氏の姿を想像して、もしかしてゴルフ目的で一時帰国したのではないかと邪推してしまう。
それにしても、自然へのリスペクトなのか、ただ山を開墾するのがおっくうだったのか、オタゴゴルフクラブはものすごいアップダウンである。
名物ホールは11番。渓谷の間へ打ち下ろしていくパー4で、グリーンは縦に長く両サイドにバンカーが待ち構える。
12番パー3へはスキーリフトみたいな原始的な機械で巻かれた綱にしがみつき、急坂を登っていく。
カートでプレーするには問題ないが、開業当時カートなんてなかったろうから、昔のゴルファーはもっと難儀したに違いない。
コースレイアウトの設計も手がけたというホーデン氏に敬意を払いつつも、18番はグリーンに向かって200メートル近く強烈な上り坂で、試合中は心身ともに疲弊した。
さて、肝心のNZ女子アマチュアの結果だが、私は予選2日間を77, 78の155ストロークで21人中7位タイで通過した。 が、3日目からのマッチプレーで初戦敗退してしまった。 トップ16止まりだ。
日本では4日間のストロークプレーで、日本女子アマチュアに限ったことではなく、女子がでマッチプレーを戦う機会はほとんどない。
そういう意味では、残念な結果ではあったが、とても楽しい経験だった。
私が対戦した子はNZナショナルチームのメンバーでもある19歳で、これから奨学金でアメリカの大学へ進みゴルフ部に入るという。初々しく、まぶしかった。
私は35歳で何を目指しているのか。
中年ゴルファーのいいところを強いていえば、精神的にも経済的にもちょっとゆとりができて、その土地の観光や歴史探索などが楽しめること。
いわば、ゴルフが全てではないことを知っている、開き直りゴルファーだ。
しかし、私もそろそろ現役選手気取りをやめて、ホーデン氏のようにゴルフ界に貢献すべき年齢になってきたのかもしれない。
今回ダニーデンへの遠征でいろいろ考えさせられた。
ヒッティ
1987年生まれ。ニュージーランド在住。幼少期からゴルフを始め、一時はプロを目指すも、今なおアマチュアとしてゴルフを愛し続けている。最近のハンデは1。日本とニュージーランドで女子ミッドアマ チャンピオンのタイトルを獲るなど、珍道中を邁進中。