ゴルフは続くよどこまでも #31「勝った!けど…」
2023年1月某日。 お正月気分もそこそこに、真夏のニュージーランドでは30歳以上のアマチュアが対象の競技が行われた。
わたくしめはその大会に出場して、僭越ながら優勝した。
ありがとうございます。 マジで真摯にお礼申し上げます。
ただ手放しに喜べない内容だったので、自戒を込めて振り返りたい。
結果は「優勝」とあいなった訳だが、3日間の合計は223ストローク。 7オーバーである。
1日あたりで割ると平均74.3333...ストロークなので、1ラウンドあたり2オーバーちょっと。 と思うと、まぁ悪くなさそうな響きではある。
問題は、実際のスコアの幅と順番だ。
初日 73、二日目 69、最終日 81。
「81も打ったが69も出した」
というと、頑張って巻き返して優勝したんだな〜と思えるが、
「69も出したが81も打った」
となると、なんだか途端に残念である。
たとえば
「ヒッティはおっちょこちょいだが、ゴルフが上手い」
だと、欠点もあるが良いゴルファーだ。
「ヒッティはゴルフが上手いが、おっちょこちょいである」
では、ゴルフの上手さよりも人間としての”すっとこどっこい度”がまさる。
試合の流れはこうだ。
初日のプレーはまずまずで首位に立ち、2位の選手とは3打差あった。
2日目は好天に恵まれ、イーグルを含むビッグスコアが出て2位との差は9打に広がった。
最終日は悪夢だった。
私は9ボギーノーバーディーで81。 2位選手は73の1打差でからくも逃げ切った。
今回 学んだのは、18ホールを残して9打差とは、アマチュアゴルファーの心を油断させるのに十分な数字だということだ。
仮に1ホールでダボを打って、相手がバーディを取ったとしたら、3打差がなくなる。
仮に9ホール全部をボギーで、相手が全部パーを取ったらその差はなくなる。
私は最初の「仮に」があっても、3打しか縮まらないし、後者の「仮に」があったとしても… いや、ないだろ! と思ってしまったのである。
タイムマシンに乗れたなら、2日目の自分をひっぱたいてやりたい。
ゴルフは何が起こるかわからない。
そんなの毎年マスターズやプロの試合を見ていたら知っているはずだ。 はずだったのに。
最終日、1番ホールはゆるやかな丘を超えていくパー4。
ボギー発進。
続く2番ホールは距離のあるパー4。
またボギー。
出だし2ホールで、いきなり2打のリードを失った。
私はその事実を心の中で反芻(はんすう)し、「やばい」と焦り始めた。
一緒に回っている2位の選手は、好調に、確実にパーを重ねていく。
平静を装いながら、隠しきれない苛立ち。
自分の心を落ち着けようとすればするほど、空回りしていく苦しさ。
何をやってもうまくいっていた前日と打って変わって、何をやってもうまくいかない日だった。
途中から頭が正常に機能しなくなり、スコアの比較をやめていた。
最終ホールのボギーパットを沈めてもなお、「私 追いつかれたのか? 勝ったのか?」と不安でいっぱいだった。
上がってみれば、2位の選手は73で、私は81。
ギリギリ1打差で逃げ切り優勝となった。
その結果を知った途端、手足に感覚がもどってきて、呼吸を感じることができた。
勝者としての威厳など微塵もなく、祝福の言葉をかけられても、雨でずぶ濡れになったネズミのように、みじめだった。
私は自分に負けたのだ。 徹底的な敗北だ。
勝ちは勝ち。
だが本当にゴルフというゲームは、人間に試練を与えてくる。
齢35にして自分をコントロールできない未熟さ、状況に対処できないスキル不足をいやというほど思い知らされた。
野を超え山超え谷超えて、ゴルフはつづくよどこまでも。
ヒッティ
1987年生まれ。ニュージーランド在住。幼少期からゴルフを始め、一時はプロを目指すも、今なおアマチュアとしてゴルフを愛し続けている。最新のハンデは0.2。日本とニュージーランドで女子ミッドアマ チャンピオンのタイトルを獲るなど、珍道中を邁進中。